竹俣紅 なんて読むの?
竹俣紅(たけまた べに)と読みます。
何をやっている方ですか?
フジテレビのアナウンサーであり、将棋の元女流棋士、元タレントでもあります。
出身大学は?
彼女は東京都港区出身で、港区立青山小学校、渋谷教育学園渋谷中学校・高等学校、早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業しています。
女流棋士時代の段位は?師匠は?
女流棋士としては、日本将棋連盟に所属し、女流初段の段位を持っていました。
また、彼女は森内俊之九段の門下生でもありました。
竹俣紅の将棋との出会いは・・
竹俣紅が将棋の世界に足を踏み入れたきっかけは、6歳の頃でした。
近所の本屋でそろばんの本を探していたところ、見つからずに偶然手にした将棋の本に興味を持ったことがきっかけでした。
彼女は将棋の才能を開花させ、アマチュアの女子将棋大会で優勝するなど、順調に成績を伸ばしていきました。
特に2010年度の第32期女流王将戦の予選では、プロの女流棋士たちを破り、史上初の小学生として女流公式戦の本戦に進出しました。
2010年に女流棋士を目指し、研修会に入会した竹俣紅は、2年後に女流棋士3級の資格を得てプロ入りしました。
彼女はアマチュア時代から女流棋戦で好成績を収めており、昇段規定に沿って中学校2年で女流2級に昇級しました。
その後、彼女は着実に実力を伸ばし、2015年度には女流1級に昇級しました。
さらに、若手女流棋士を対象とした新棋戦で準優勝するなど、活躍の場を広げていきました。
学校と将棋の両立は・・
しかし、竹俣紅は高校3年生になると、進学と将棋の両立が難しいために彼女は2016年度に1年間の休場を取ることにしました。
その間、彼女はマネージメントを目的としてワタナベエンターテインメントに所属しました。
そして、2017年度から再び対局に復帰し、将棋の世界での活動を再開しました。
一方で、竹俣紅は大学に進学するために早稲田大学政治経済学部に入学しました。
竹俣紅さんがアナウンサーになるきっかけは?
大学でさまざまな価値観に触れる中で、将来の自分の生き方について考えるようになりました。
彼女は将棋の道を進むことよりも別の道を選ぶ可能性が高まりました。
そして、2021年4月、竹俣紅は新たな道を歩むためにフジテレビにアナウンサーとして入社しました。
彼女は将棋の経験や知識を活かしながら、テレビ業界での新たな挑戦を始めました。
同期入社の仲間には、竹俣紅さん・小山内鈴奈さん・山本賢太さんに加え、現在は報道局社会部の記者で元HKT48の若田部遥さんがいます。
竹俣紅の人物像は? 名前の由来は?
彼女は米沢藩の重臣の末裔であり、竹俣という名前は父親が山形の県花である紅花から名付けたものです。
一人っ子であり、両親は彼女が興味を持ったことに対して自由に取り組ませてくれる理解ある家庭環境でした。
将来は医師を希望いていたが、○○アレルギーが原因で・・
彼女は幼少時から医師を志望していましたが、自身のラテックスアレルギーの影響で医療関係の仕事は向かないと知り、文科系の道を進むことを決めました。
彼女は中学受験では塾に通わず自主学習を行い、渋谷教育学園渋谷中学校・高等学校に進学しました。
大学受験では、将棋が強い大学で学びたいという思いから早稲田大学政治経済学部に合格しました。
竹俣紅 将棋以外の才能・趣味は?
竹俣紅は将棋だけでなく、漢字検定でも優れた成績を収めています。
彼女はミニ盆栽を趣味とし、『竹俣紅の盆栽事始め』という連載も行っています。
芸能界での交流は?
また、お笑いタレントのカズレーザー(メイプル超合金)との交流もあり、彼のことを面白くて優しく物知りな方と評価しています。
まとめ
以上が、竹俣紅の経歴と彼女の将棋からアナウンサーへの転身についてのまとめです。
彼女の人生の節目や選択について、興味深いものがあります。
竹俣紅は将棋の世界で才能を開花させ、苦労や努力を積み重ねてきました。しかし、彼女は自身の将棋の道に疑問を抱き、新たな可能性を求める決断を下しました。その決断は彼女の人生を大きく変えるものであり、多くの人々に勇気と希望を与えることでしょう。
フジテレビのアナウンサーとしての新たなキャリアをスタートさせた竹俣紅は、将棋の知識や経験を生かしながら、様々な番組やイベントで活躍しています。
彼女の明るい笑顔と的確なトークは、視聴者に安心感と興味を与えます。彼女の勇気と決断には敬意を表し、彼女の今後の活躍に期待しましょう。